幸せとは何か?お金や心が満たされれば幸せ?
でもお金も心もどちらも満たされていなくても、自分が幸せと思えば幸せですよね。
幸せとは何か、哲学的に言うとどういうことなのか考えてみたいと思います。
目次
哲学的にいう幸せとは何か?
哲学というとわかりにくいですが、哲学が宗教や思想と強く結びついていると言ったらイメージがわいてくるのではないでしょうか。
哲学とは知を愛する学問で、物事の本質を追及する性質があります。
幸せといって私たちが思い浮かべるのは、美味しい物を食べたときや、大好きな人に会えた喜びというわかりやすい出来事ですよね。
食べるのは味覚へのアクション、会うのは視覚や聴覚等からのアクションが必須となります。
これらのアクションを想像上で抜いたときに喜びの感情が残るとすれば、哲学的にいう幸せがおぼろげながら見えてくるのではないでしょうか。
何を食べれば美味しいと感じるか、誰に会えればうれしいのかは人によってそれぞれです。
共通する喜びの固まりを言語化することができたとき、哲学的にみた幸せの形が見えてくる気がします。
幸せの指標、相対的価値と絶対的価値
自分の人生に価値があると感じられる時、人は幸せを感じられるのではないでしょうか。
隣の人にとって無価値なものでも、自分にとって価値あるものを手にしていたら、絶対的価値の高いものを持っているといえるでしょう。
金銭的な価値観は世の中のモノサシで平等な金額が決まってしまいます。
しかし思い出の品など、値段のつけられないモノってありますよね。
誰かにとって絶対的価値のあるものだとしたら、その人にとっては金銭的価値には変えられない大切なものになるでしょう。
それを所有することは、その人にとっては幸せなこととなるはずです。
相対的な価値を最低限もつことも、幸せには必要不可欠です。
最低ライン以上の生活が保障されてこそ、人は安心して幸せの翼を広げて休むことができるのです。
ひとりひとり、何を所有することが幸せなのか、価値観はそれぞれです。
また人によっては、人やモノを所有しないことに価値を見出し、幸せを感じる人もいるでしょう。
断捨離などモノを手放す行為から幸せを得ることがあるのが、よい例です。
幸せの哲学は人それぞれ
人それぞれに価値観を見い出すものがちがうように、人生哲学も人それぞれです。
皆の人生が少しずつ違うものを歩んでいるのは、そのためです。
選ぶ職業、配偶者、住む所、誰一人として同じ人はいません。
自分にとって価値ある人生となるよう、毎日選択の連続です。
誰もが幸せに向かって進んでいると信じています。
しかし自分は本当に幸せなんだろうか?と自信をなくしてしまうことがあります。
この原因は、単純に自信をなくしているだけということが多いようです。
幸せだと感じるかどうかが、自信あるなし一点のみとは馬鹿げているかもしれません。
しかし幸せが絶対的にも相対的にも感じてしまうため、自信が幸福感を大きく左右します。
幸せも人生哲学も人それぞれ。
皆が自分の幸せに向かって歩いていきます。
幸せだと思えない…と思ったときには、ただ自信を失っただけだ、ただそれだけのこと、ということを知っていていただきたいと思います。
幸せとは何か?哲学的に言うとのまとめ
いつも自信に満ちあふれていたらいいのですが、たまに自信のバケツが空っぽになることは誰にでも起こりうるでしょう。
幸せとはなにか?もしかして幸せじゃないかも…と思ったときは、自分の中にある「自信のバケツ」をのぞいてみてください。
自分の独自の人生哲学に自信を持てる時の方が、自信のバケツにいっぱい水がたまりやすいです。
自信のバケツの水が減ってきたら、自分の人生哲学を振り返り、よいものを見たり心あたたまる話をするなどして、自信の水で満たしてあげましょう。