さつまいもの日の由来について

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さつまいもってみなさん好きですか?

さつまいもはいも堀りや焼きいもでおなじみ、外が赤くて中が黄色のいもです。

ところで「さつまいもの日」というのがあるんですよ。

いつなのか、また名前の由来について探ってみます。

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目次

さつまいもの日はいつ?

さつまいもの日は10月13日です。

さつまいもや焼き芋には「十三里」という別名がついています。

さつまいもの収穫時期は秋です。

十三里の「13」にちなんで10月13日がさつまいもの日になりました。

ところで、なぜさつまいも、焼き芋のことを「十三里」と呼ぶのでしょうか?

十三里の意味の由来は?

江戸時代に京都のお店ではさつまいものことを「八里半」といって売っていました。

焼き芋屋の看板に「八里半」と書かれていたそうです。

(栗…九里ほどうまくはないけど、焼き芋は八里半くらいのおいしさだったという意味です。)

京都では控え目な宣伝で売られていました。

次第に関東地方までさつまいもや焼き芋が広がりました。

江戸のお店では、「八里半」ではなく、看板にこう書かれていたそうです。

「栗よりうまい十三里」

栗=九里、より=四里、うまい十三里=さつまいも、という意味です。

八里半だったさつまいもが、江戸では栗よりおいしくなり9と4をたして13里、十三里と言われるようになりました。

栗より美味しいと看板に書いてあったら、同じ焼き芋でも美味しそうに見えますよね。

この十三里という言葉には、もう一つ由来があります。

どんな由来なんでしょうか?

十三里(さつまいも)のもう一つの由来は?

この時代にさつまいもが盛んに作られていたのが、現在の埼玉県川越地方です。

焼き芋を売っていた江戸のお店から産地の川越までの距離はおよそ52km。

一里が4kmなので江戸から川越まで十三里なんです。

この「栗よりうまい十三里」の洒落が江戸では大ヒットして、焼き芋は大人気となりました。

焼き芋の材料となる芋をつくっていた川越では「川越いも」を作っていて、今でもさつまいも作りやお菓子への加工が盛んです。

さつまいもは関東で盛んに栽培されるようになりましたが、何か理由があったのでしょうか?

関東でさつまいもが栽培された理由とは?

さつまいもは中国から琉球、そして薩摩から日本に入ってきました。

さつまいもが薩摩、現在の鹿児島県だけでなく関東でも作られるようになったのは、江戸時代8代将軍徳川吉宗が大いに関係しています。

1732年享保の大飢饉が起こり冷害と害虫によりひどい凶作の年となりました。

とても多くの餓死者が出てしまったのですが、さつまいもを沢山作っていた地方だけは餓死者が出なかったのです。

米だけに頼っていては飢饉を乗り切れないと判断したのでしょう。

徳川吉宗は青木昆陽という蘭学者を呼び、さつまいもの栽培を関東に広めました。

こうして江戸周辺でもさつまいもが盛んに作られるようになったのです。

享保の大飢饉の50年後、天明の大飢饉におそわれましたが、さつまいもに命を救われました。

さつまいもの日の由来についてのまとめ

育てやすく、一本の苗からたくさんの芋が収穫できるさつまいも。

庶民のお腹を満たし、飢饉で多くの人を救いました。

ホクホクに焼けた芋は栗と同じかそれ以上に美味しいですよね。

九里より四里もうまいというのが十三里…さつまいもの由来です。

栗より上手い十三里、さつまいもの日の10月13日には、美味しい焼き芋を食べてみてください。

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