お歳暮とお中元を日頃、お世話になっている方に送るという方も多いのではないでしょうか?
毎回、何を送ろうか迷われている方もいるようですが、そもそもお歳暮とお中元はいつから始まったのでしょう。
実は中国や韓国などのアジアにも同じような風習があるようで、日本のお歳暮とお中元と何か関係があるのでしょうか。
お歳暮とお中元の起源について、ご説明します。
目次
お歳暮の起源
お歳暮を送る時期は東日本では12月1日から12月31日、西日本では12月13日から31日とされています。
昔は、12月13日から12月20日という短い時期に送るものとされていましたが、現在は11月末からがシーズンになります。
さて、起源についてですが、御霊祭りというものがあり、歳の暮れに神様へのお供え物を、分家が本家へ、嫁が実家へ、使用人が主人へなどに届けたことが始まりだそうです。
室町時代には行われていたようで、最初は公家や武家といった身分の高い人々が行っていたものが、江戸時代になると庶民の間にも広まり、現代のお歳暮になったようです。
現在は様々なものを送りますが、当時は年越しということを強く意識してかスルメや昆布、数の子と縁起のいいものを送ることが多かったようです。
お中元の起源
お中元を送る時期は全国的に7月初めから中頃までが主流となっているようです。
一昔前には、西日本では8月初めから中頃の時期に送っていましたから、7月が主流になったとはいえ、まだ8月に送られる方もいるかもしれません。
さて、起源ですが、古い中国では7月15日に中元と呼び、天神様の誕生日ということで、お祭りとなっていて、人々はお供え物をしたのだそうです。
この中元が中国から日本にやって来た時に、日本の仏教の盂蘭盆会というお祭りと結びつき、お供え物をするという意味合いから始まったもののようです。
こちらも、お歳暮と同様に、始まった時期も同じ室町時代頃からで江戸時代には庶民に広まりました。
江戸時代もそうめんやうどんを送ることが多かったようです。
まとめ
今では起源こそ違えど、お中元とお歳暮はお供え物という意味合いが薄れ、ハムなどの食べ物を送るという行事になっています。
お歳暮やお中元が始まった室町時代は約240年も続いたのですが、安定した時代はたった数10年しかなく、内乱などが多かった上に、それまでの権力者であった貴族の力が落ち、新たに武士が権力者として台頭するという中世と近世の転換点のような時代です。
不安定な時代でしたが、商業や工業、農業が発達し、畳など現代の日本人にも通じるものが多く生まれ、お中元とお歳暮もその1つなのでしょう。
江戸時代になると、武士の組合の組頭(現代でいうところの上司)や商人の場合はお得意様に送るという現代のお中元やお歳暮と同じような形になりますが、明治の頃は役人に送ったりして、多少、賄賂的な意味合いを持つようになったようです。
果たして、現代では人々はどのような気持ちでお歳暮やお中元を送っているのでしょうか。
それを知ることは出来ませんが、いただいた時はありがたくもらいましょう。