モハメドアリと猪木の勝敗、それはドローつまり引き分けでした。
モハメドアリとはボクシングの選手で、当時の世界ヘビー級チャンピオン。
猪木ことアントニオ猪木は日本のプロレスラー。
プロレスとボクシングという異なる種目で勝敗を争う「格闘技世界一決定戦」で、この二人は対戦しました。
モハメドアリと猪木、異なる格闘技でどう戦ったか?
異種格闘技となるため戦い方が根本から異なるため、二人の間には共通のルールが設定されました。
このルールにより、猪木が得意としていたプロレス技のほとんどが禁止されてしまいました。
頭突き、チョップ、立ち蹴り、投げ技、関節技、数々の禁止…。
猪木が床に寝転がりスライディングしながら、アリの外太ももに鋭いキックを与える。
誰もが想像できなかったまさかの試合展開になりました。
この猪木によるキックは「アリキック」として名付けられ、後世に話題を残しています。
禁止だらけのルールの中で編み出した、猪木のあがきなのでしょう。
猪木のキックの体勢は低姿勢からの重心移動がすばらしく、アリの足に大きなダメージを与えたようです。
一方アリはアリで、終始ボクシングの枠をはみ出しませんでした。
世界王者としてボクシングの王道を貫いたのでしょう。
アリはボクシングという格闘技に、誰よりも誇りを持っていたのではないでしょうか。
どうして異種格闘技の二人が勝敗を争うことになったのか?
モハメドアリが賞金を用意して、東洋人から挑戦者を募りました。
そこで応戦したのがボクシングでなくプロレス界の猪木。
異種格闘技の試合はこうして現実のものとなりました。
アリも猪木もボクシング、プロレス界の発展を願って、この未知なる戦いに挑んだのではないでしょうか。
1976年6月16日、アリがこの勝敗のために来日したときには、成田空港に大勢のファンが殺到しました。
歴史に残る対戦を予感していたのかもしれません。
この対戦の勝敗から学んだこと
モハメドアリも猪木も、自分のこれまでの格闘技人生をかけてこの対戦にのぞみました。
アリはボクシングそのもので勝負しましたが、猪木は格闘技としてのプロレスの地位を高めることを考えていたに違いありません。
アリはボクシング界の頂点に立ったからこそ、広く東洋まで対戦相手を募ったのでしょう。
そして猪木はアリとの対戦を通して、日本のプロレスの可能性が広がることを天才的にキャッチしました。
禁止だらけのルールを乗り越え、猪木のプロレスラーの名はいっそう歴史に深く刻み込まれました。
格闘技の世界にとどまらず私たちの仕事や人生においても、今までの枠組の中では考えられないような掛け合わせが起こることがあります。
想定外の出来事があったときに、目の前の問題とどう向き合っていったらよいのか…。
アリと猪木から違う強さを持った人間をどう捉えたらよいのか、考える機会を与えてもらった気がします。
モハメドアリvs猪木の勝敗からのまとめ
モハメドアリと猪木の対戦を通して、ボクシングとプロレス、二つの格闘技が求める方向性が見えてきました。
相手は強い、でも別の局面から見たら自分だって同じかそれ以上に強いはず。
誰もが、自分の一番強い面、得意なことで勝負できたら…と思うこともあるでしょう。
弱点も長所もまんべんなく伸ばしていければ良いと誰もが思いますが、それは容易ではありません。
弱点を克服するのも大切ですが、強いところをより強く伸ばしていくことが、自分の総合的な強さを高めていくコツなのかもしれません。
アリも猪木も、違う格闘技ながら自分たちの戦い方を貫きました。
私たちもどんな場面においても、自分の得意なスタイルを貫いて自らの世界を切り開いていっても大丈夫だという勇気をもらったのではないでしょうか。