豊臣秀吉の死因は天ぷら!?

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歴史上の人物の死因って気になりますよね。

それも天下統一を成し遂げた人物の。

気になったので調べてみました。

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豊臣秀吉の人物像に迫る

サルとあだ名されていた秀吉、片手の親指が2本あった多指症で、秀吉本人は「自分は醜い顔をしている」と語ったとか。

身体は小柄で頭髪も薄く、信長からは「禿げ鼠」と言われていたといいます。

身分の低い出ながら、積極性や進取の気性が強烈な秀吉は常に計算高く、味方に取り込む人の良さ、度量の大きさ、人たらしの巧みさで信長に気に入られ、出世していきます。

1582年信長の暗殺後、権力を奪取。

1585年大阪城を築城した後、最高位の関白太政大臣に上り詰め朝廷から「豊臣」の姓を授与されます。

秀吉は京都に豊臣家の本邸・聚楽第を建て、そこで執務を行うようになる中、1590年伊達政宗を配下に納めてついに天下統一を成し遂げます。

順風満帆に見えた秀吉ですが、次々と家族の死に見舞われ、懐刀とされていた千利休をも切腹という形で亡くしてしまいます。

1592年二度の朝鮮出兵で惨敗を味わった秀吉に、さらなる不幸が訪れます。

地震による伏見城の倒壊してしまします。

当時は地震が天意を表すと考えられていたため、地震による倒壊は忌まわしい出来事となりました。

秀吉は忌まわしい出来事となった伏見城の倒壊を払拭しようと、1598年醍醐三宝院で盛大な花見を催します。

その後、秀吉は体調を崩し床に伏すことになるのです。

豊臣秀吉の死因は天ぷら?のうそ

秀吉は花見以降の5月から、下痢・腹痛・食欲不振・手足の激痛を訴え、やせ衰えて次第に病状は悪化していきました。

秀吉は当時としては長命の部類に入る歳でなくなっているので、老齢による合併症の可能性も高くあり、また、梅毒・老人性結核・胃癌・糖尿病の悪化・尿毒症などいろいろな説が言われています。

キリスト教宣教師のロドリゲスが秀吉を見舞った際「干からびたかのように衰弱しており、ボロボロになっている。まるで悪霊の様で人間とは思えない」と伝記しています。

8月18日永眠 享年62歳。

秀吉の亡骸はしばらく伏見城内に置かれたのち1599年4月、阿弥陀ヶ峰の山頂に埋葬され朝廷から「豊国大明神(とよくにだいみょうじ)」の神号、正一位の神階を授与されて、神として祀られました。

秀吉亡き後、家督は秀頼が継ぎましたが、豊臣政権の内部紛争が激化、関ヶ原の戦いで勝利した家康が台頭すると1614年の大坂の陣で豊臣家は瓦解してしまいます。

まとめ

では、誰の死因が天ぷらかというと、秀吉ではなく徳川家康です。

大の天ぷら好きで、高齢で体が弱っているにもかかわらず、鯛の天ぷら(家康の好物とされる)を食べすぎて、体調を悪化させ亡くなったといわれています。

色々な死因がささやかれている秀吉ですが、天ぷらが原因で死んだのではないとわかりました。

秀吉の死は、秀吉の後に天下統一を成し遂げた徳川家康によって史料の殆どが破棄されてしまったのです。

百姓・足軽から天下人へ上り詰めた秀吉。

その数奇な62年の生涯は「戦国一の出世頭」と称されました。

家康は秀吉に嫉妬していたのかもしれませんね。

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