歴史上の人物で、性別の分からない人がいますよね。
教科書などには肖像画が載っていたりするのですが、本当か疑うこともあるでしょう。
歴史上の人物が、男か女か。
名前だけでは分らないので調べてみました。
目次
小野妹子の性別は?性別と名前の不思議
「小野妹子(おののいもこ)」
生没年は不詳とされています。
漢字の雰囲気から女性だと思われてしまうでしょうが、「小野妹子」の性別は男性です。
後に描かれた容姿から男性であろうと推測されています。
ですが、性別が男性であるとは言いきれない、多少疑問の残る人物です。
疑問の先にあるのは使われている漢字です。
歴史上の人物の名前に「~子(あるいは古)」が、男性名についても珍しいものではありません。
明治時代以降に「~子」は女性の名前の最後に付ける文字となりました。
「小野妹子」が男性だったとした場合、なぜ男性名に「妹」の字を使ったのかは明確な答えが出ていないのです。
この時代、小野妹子以外に「蘇我馬子」「中臣鎌子(のちの忠臣=藤原鎌足)」などがいます。
中国の影響を受けていたこの時代は、男性に「子」を付けても何の不思議もない時代背景だったのでしょう。
小野妹子の性別が男だとする理由
小野妹子が男性とする理由の一つに、遣隋使があります。
隋へ国書を届ける使者として、小野妹子が607年(推古15年)に大唐国へ派遣されました。
航海自体が危険を伴っていた時代に、2回も隋へ国書を携え出向いているのです。
日本書紀にもその功績は残されています。
そこで、2回もの長い船旅自体が女性では無理ではないかということから、男性説が有利になるわけです。
遣隋使は600年(推古8年)~618年(推古26年)の18年間の間に5回以上も派遣されたといわれています。
文化や技術、伝統工芸品などの物品のやり取りで、中国との交流を果たしています。
隋での風習から、墳墓への献花をする習わしを始めたのも小野妹子と言われます。
池坊の記録にも華道の始祖として名前が刻まれています。
まとめ
婚姻の自由な時代に、生まれた小野妹子は、今でいう不倫の末の子ではないかとも言われています。
女性らしい容姿だった。
もしくは女性だったが、男装していた。
など、史実が残されていないが故に、勝手な憶測の姿が浮かび上がりますね。
ちなみに、間違われやすい「小野小町(おののこまち)」は、平安時代の女流歌人の一人で、小野妹子の子孫になります。