千代の富士とは昭和を代表する大相撲の力士です。
「小さな大横綱」と呼ばれ、スーパースターだった千代の富士。
実は力士としてはどちらかというと小柄でした。
並みだった体型にも関わらず、圧倒な強さを誇っていました。
千代の富士がどのように小柄なハンディを乗り越えていったのか、調べてみました。
千代の富士の身長と体重は?
ウィキペディアによると千代の富士の身長は183cm、体重126kgです。
力士の平均身長は185cm弱、体重は150kg程度で、平均を下回っています。
そればかりか、中学卒業の新弟子検査合格のときには71kgしかなかったというのです。
組み合う力士によっては、見た目からして小柄すぎるのではと思うことさえありました。
裸で相撲をとる力士にとって、筋肉や脂肪はみずからの体を守る大切なもの。
100kgを割る体重で相撲をはじめた千代の富士は、どのようにして相撲を極めていったのでしょうか。
千代の富士の強みとは?
千代の富士は自分の体の欠点を補い体格に合った相撲をみつけてから、めきめきと強くなっていきました。
それは「肩まわりのトレーニング」と「頭をつける相撲」です。
千代の富士は生まれつき両肩を脱臼しやすい体質で、相撲ではたびたびの脱臼によるケガに悩まされていました。
医師のすすめにより脱臼しやすい肩のまわりを集中的に鍛え、筋肉のよろいで守るようにしました。
そのトレーニングはすさまじいもので、すりへった自宅の畳を4か月に1度交換しなければならないほどだったそうです。
腕立て伏せ、ウエイトトレーニングで、集中的に肩周りの筋肉を鍛えていきました。
それと同時に相手の胸に自分のひたいをつける相撲を取り、相手との体格差のハンディを乗り越えていきました。
千代の富士対小錦では、小錦の体重なんと250kg超え。
体重100kg以上の差があったにもかかわらず、自分の持ち味や特技を生かして体格差を乗り越えた相撲をとっていました。
前まわしを引いて頭をつける相撲です。
抜群の身体能力と恵まれた気性
千代の富士は力士としての体格や体質に恵まれなかったかわりに、抜群の身体能力に恵まれていました。
中学時代には相撲ひとすじではなく陸上競技をやっていた千代の富士。
入院したときの縁で相撲界に入ることになりました。
もしこの縁がなく相撲界に入っていなければ、別のスポーツで大活躍していたかもしれません。
千代の富士は身体能力のほかにもうひとつ、スポーツにおける大切な資質をもっていました。
それは気性の激しさと執念深さでした。
現役時代は「ウルフ」=オオカミと呼ばれた千代の富士。
自分より体の大きい力士に次々といどむ負けん気の強さ。
相手の一寸のすきを突く豪快な投げ技は、見事のひとことです。
千代の富士の引退
千代の富士の引退は36歳の誕生日の前月。
白いハンカチを当て涙ながらに「体力、気力の限界です」と潔く語りました。
戦後の多くの横綱は30歳前後で引退しています。
身長、体重は小柄ながら、合計31回の優勝。
もっとも長期間活躍し、勝ち星をあげた横綱でした。
千代の富士の身長と体重のまとめ
漁師の家に生まれた千代の富士。
三女が生後4か月でSIDS(乳幼児突然死症候群)により急死するなど、辛いことも続きました。
一時はもう相撲をとることもできないのではと心配もされたそうです。
千代の富士は34歳ときに国民栄誉賞を受賞しました。
相撲界への著しい貢献が評価されたのです。
千代の富士の強さの秘訣は、肉体のハンディを越えた精神的な強さにあるのではないかと考えています。
誰でも万物に恵まれているわけではないものだと、千代の富士をみていて悟ることができました。
天から授けられたものに感謝し最大限に実力を発揮する姿は、私たちも見習いたいものです。